松本光隆先生
森岡です。たいへんご無沙汰しております。
『平安鎌倉時代漢文訓読語解析論』拝読いたしました。
以下、いくつか気になったところなどを記します。
- 「理論物理学や科学哲学の方向」(p.7)とある、「科学哲学」はここでは不要かと思います。
- p.19の例40、「「 」は墨書」とあるということは、「去濁」とあるのは、「去濁」と墨書されているということなのでしょうか。また、[イ、 ]とあったり、[墨、 ]とあったりするのも形式が整わない感をうけました(p.46には、[墨點、 ]ともありますが)。
- 「漢文訓読研究の過去において、こうした俗家博士家の訓読語の固定化に傾いて行く様態が、無批判に仏書の訓読語の実態にスライドされた学史があって、僧侶の流派による言語集団の場合も、各流派毎に確固として動かしがたい一種類の規範的訓読法が各宗派流派の訓読語を規制して、一つの漢文理解に基づいての一つの訓読法を形成し、伝播伝承されたと見る事で平安鎌倉時代の仏書訓点資料の訓読語を捉えようとした試みは、学史的には古くから行われて来た。がしかし、稿者は、そうした視点での仏書訓点資料の訓読語史は、十全の成果を上げていないと評価する」(p.70)。西墓点加点資料が、濁声点に△を使っていたりいなかったりすることの丹念な記述が、この論断のたしかな支えになっていることのに驚きました。私はほんとうに松本先生からなにも学びえていなかったのだなあ、と思いました。
- p.113の例40は、「「有」字に「イマス」訓が付された例」とはなっていませんが、ルビの振り落としでしょうか。
- 「広益会玉篇」(p.160)は、大広益会玉篇では。
- p.195の「(二百廿一)」の例では、観智院蔵本と石山寺蔵本とに若干本文の違いがあるようですが、その点説明は不要でしょうか。
- p.199、「ウ音便」とされていますが、ウ表記=ウ音便ではないかと。
- p.224で、単に「代名詞」とされているのと、「指示代名詞」とされているのとではなにか違いがあるのでしょうか。
- p.236の桂庵和尚家法倭点の引用で「ヨマレヌ処モ」となっているところが、p.576では「ヨマヌ処モ」となっています。
- 「説明の論理として、朱子新注の採用が、助字の訓読法を左右するという論行自体が腑に落ちてこないが」(p.237)とありますが、一条兼良が四書童子訓に、「朱子カ文章ノ一字ニテモ、ステ筆ノナキハ、カヽル処ニテシルヘシ、本注ニハ、而ノ字之字ナトノ、ヤスメ詞ヲハ、訓ニハ読マス、新注ニ点ヲ加ハ、語ノ助ノ字マテモ、ヨマルヽ程ノ辞ヲハ悉ク読ヘキ也、其故ハ、本経ヲハ必、ソラニ誦スヘキモノ也、其字ヲ落シテ、誦ツレハ、ヤスメ字ノアリ所ヲハ、ソラニハヲホヘス」といっているような理路があったのではないでしょうか。
- p.248注1、「『広島大学文学部紀要』第三十二号」は、第32巻第1号、です。
- p.285の例9の右旁書、「「ママ」」は、(ママ)の誤りではなく、ママ、と仮名で書かれているのでしょうか。
- p.300注4の、「新日本文学大系」は、新日本古典文学大系、です。
- p.320注1に、「本書第二章第二節、第二章第五節」とありますが、本書第二章に第五節はありません。
- p.369、「地の文(双紙地)」とあるのは、草子地の表記のほうが一般的ではというのと、そもそも、この( )による注記は必要だったのでしょうか。
- p.390の用例6は、同一本文への加点のはずですが、朱点と墨点とで、本文に「燄」字の有無があるのはなぜでしょうか。
- p.505の「第230柵第3号2」という請求番号の柵字は、棚字のあやまりでは。
- p.539の例2、「疇-昔{セキ}ノヒノ」と訓まれているのは、『宮内庁書陵部蔵本群書治要経部語彙索引』が訓んでいるように「疇_{サキノヒ}昔ノ」とみるべきで、金沢文庫本春秋経伝集解とのちがいは、「文選読みの異同」ではなく、熟字を字音でよむか和訓でよむか、です。初出論文から存した誤りが、一書にまとめるに際してもそのままなのは、残念です。また、「為政」二字のあいだの雁点が(返)として示されていないようですが、p.545の例11、例12、例14、例15をも見るに、ここでは雁点、一二三点は訓読文に表記されない方針だったのでしょうか。
- p.539の例3、群書治要には「今日」の右旁訓「ケフ」がありますが、訓みおとされているようです。
- p.545の例13、「示{シメ}スニ」とあるのは、に、はヲコト点なので、「示{シメ}スに」とするところでは。
- p.545の例14、「与に」には、右旁訓があり「与{トモ}に」です。
- p.546の例16、「後に慈和(す)」は脱字があり、「後に上下慈和(す)」です。
- p.591の注9での『漢研』の引用、「気附きながら」とあるのは、原文「気附き乍ら」です。
- p.642、「広島大学文学研究科資料室内角筆資料研究室(以下、角筆資料研究室)設置の」とある、「資料室内」の四字は不要では。
- p.725、補注「訓読語基調」に、「述語」とあるのは「術語」の誤変換ではないでしょうか。
- また、「至上命題」「私淑」「敷居が高い」の語で、いわゆる誤用とされる用法があったように思います。
- 最後に、「理論物理学」(p.5)、「理化学」(p.6)、「自然科学」(p.77)、「理科系科学」(p.644)などと、おそらくは同一のものと思われるものの呼び名がさまざまなのはいかがなものかと思います。アレックス・メスーディ『文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか』(NTT出版)で試みられているような、言語に対する進化論的なアプローチについてはどのように思われるか、機会があればお考えをうかがってみたく存じました。
以上、用件のみにて失礼いたします。
2019/08/30
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森岡信幸