解説要目

※1 国語法上の諸問題『こその研究』

古くから「ぞる、こそれ」と言い「こそと係ればれで結ぶ」と言っている。本居は、八代集の歌を材料として「詞の玉緒」において「こそ」その他「係結」について研究された。終止する場合(已然形で結ぶ)、ど・どもと受る格、にもと受る格、にと結ぶ格、をと結ぶ格、などいろいろの場合を説いているが不十分な点が多い。そこで、記紀の歌謡、万葉集、続紀の宣命から、その成因について自説を述べている。上古の第一期と上古の第二期(万葉時代)は、「こそ」はいつも逆態条件句中に用いられた。と論じている。

※1 国語法上の諸問題『助動詞つの研究』

時の助動詞「つ」を主として活用の方面から研究して、この語の活用は、て、て、つ、つる、つれ、て、と一般に認められてきた様である。しかし、記紀の歌謡には、第五のつれと、第六のての二つの活用を欠いている。そこで第五の例、第六の例を万葉集で調べている。また、奈良朝以前の文書から広く実例で論じている。

※1 国語法上の諸問題『副詞の本質』

この品詞は、諸家の説を総合すれば、「主として動詞、形容詞、または他の副詞を修飾し、また名詞を修飾したり、文や句、連語などを修飾することもある品詞である。」と言う。この説明はすべて品詞論の中の説明で、目の着け所が悪い。文章論の上に立って、副詞の説明をすれば、性質は明白である。「副詞は文の叙述を修飾する品詞である」と定義する。「文とは、完結した思想の言語による表現(=叙述)である」と言う。以下、叙述の修飾について説明している。

※2 助詞ゾ、ソの研究

係助詞ゾは、古くは曽(其ソレの意味)で、ゾは其れから濁音になったと言う代名詞である。これは今では通説になっているが、これを発見した最初のこの論文と国語法概説の価値は大きい。そして多くの国語辞典のゾのところに、説明がなされている。この語源について調査し、説明をしている。

国語の本質より)

※3 品詞分類の研究

大正七年はじめ、国学院大学の国文学会で発表された(感動詞の文法)をまとめたものと思うが、手元にないので分からない。「国語法概説」を発表する前の論文として、たいへん貴重である。分類の必要、注意標準、言語の起源、品詞発達、形式語、品詞分類法より成る。

※4 古代に於ける副詞「いと」及び其一類の研究

「いと」について、万葉集中の語法から研究し、形容詞または形容詞で統合された語の集合体を修飾し、時には動詞または動詞中心の一団を修飾する語であることを述べ、さらに「いた」という古語についても論じ、「いた」から「いと」が出来たと、記紀から説明している。「いつ」「いち」「ち」についても語源の本質に立って論じている。いち・ち・いつは最も古い語で、いたがこれにつぎ、いとは最も新しい語である。古いものは独立性乏しく、接頭語の如く用いられていた。イタシという形容詞もいたと同系の語であると、説いている。

※5 芭蕉の文法(俳句誌ひむろ所載)

芭蕉の作品のうち、連句の類は省いて、先ず発句についてその文法、音便(イ音便、ウ音便、促音便、撥音便)と口語調とについて調べ、後半では俳文・元禄十年版の奥の細道を取り上げて仮名遺いと文法上の注意すべき点を述べている。

※6 平安朝に於ける副詞「いと」の研究、職分

平安朝初期の古今集、後撰集と竹取物語、伊勢物語、土佐日記の用例を調べあげて、いとは散文に多く用いられ、歌謡にはあまり用いられなかったことを論じた。同じく職分論では、いとの被修飾部を形容詞系と副詞系と動詞系に分けて、散文と韻文の統計を報告している。竹取、伊勢、土佐の三書においては、形容詞系が圧倒的多数で九四個、次に、副詞系は十三個、動詞系は七個を数えている。以下略す。

※7 国語法概説(中興館)

ご存じ文法書の名著の一つで、母国語に深い理解を求める場合の本質を説いている。

(序文より)

特に品詞性の強弱という点から考え第一次の品詞として感動詞・代名詞・名詞・形容詞・動詞・副詞・接続詞を、第二次の品詞として助詞を、第三次の品詞として助動詞を立てる。その体系は主として山田孝雄によっているが、各品詞を説くに当っては史的な推移に注意を払い、語の成立・本性の追求につとめている。橋本進吉によって発見された上代特殊仮名遣をいち早く語法の面に応用しているのも本書の一つの特色である。後の「高等国語法」は、いっそう史的研究の色彩が強い。

日本文法大辞典及び・国語学辞典より)

形容詞の未然形ク・シクに助詞バが附く、打消の助動詞ズの未然形にもバが附く。と考えていたのは、クハ・シクハ・ズハと言う風にバでなくてハが附くのである。マスという助動詞の語源については、マラスである。

国語の本質より)

助動詞の性質上の分類として、相の助動詞と態の助動詞とを分かつべきことを主張し、相の助動詞とは「る・らる・す・さす・しむ」を指し、態の助動詞とは他のすべての助動詞を指す。相の助動詞は特別に補語、特に有情の補語を必要とし、動詞への結合力強く、あたかも一体のようになって広くすべての助動詞に続く。したがって助動詞を重用するときは、最上位に位置するのである。「我は彼に打たれたり」「私は彼に字を書かせたい」いずれも「彼に」という補語を必要とし、「打つ」「書く」の動作は彼の動作である。ただ主語の立場は前者は消極的であり、後者は積極的である。

国語学新講より)

代名詞について、指示の機能に注目し、代名詞を感動詞に次ぐ原始的な品詞とした。助動詞について、山田の「属性のあらはし方に関するもの」を「相」とし、「統覚の運用に関するもの」を「態」としている。次がその分類になる。

┌相の助動詞┬消極的(受身・可能)
│     └積極的(便役)
└態の助動詞┬格と関係
      └格と関係なし┬否定
             └肯定┬確
                └不確

橋本は、安田の相・態の分類を評価している。終助詞、間投助詞について、感動を表す助詞として一括している。その他、助動詞、接続助詞などに説明文が出ている。

国語学研究辞典より)

体系的な日本文法に国語史的な観点を加えて説いた文法書。日本語の文法を従来の説を批判しながら新しい分類体系のもとで組織しょうとする意図が、各所にあらわれている。動詞、副詞、助詞などの分類に見るべきところがある。なお各項目に加えられた国語史的な解説には、新説が多く新味ある研究書と言える。

(至文堂、国文学研究書目解題より)

教科書としての概説であるが、品詞分類を品詞の原始的成立以降の発達という観点から行った点でユニークである。まず、最も原始的なものである感動詞(孤立語)とそれ以外(相関語)に大別するのが第一段階で、次に相関語を観念をあらわす「観念語」と観念語の運用にあずかる「形式語」とに分類する。観念語を主位に立つ「主用語」と副位に立つ「副用語」とに分ける。主用語の中で実体をあらわすものを「体言」、実体の属性をあらわすものを「用言」とし、「さすことば」が観念語中の最古の原始的なものであろうとした。また、副用語には、「本来のものは極めて少く、ほとんど全部が主用語から転じたものである」とした。最後に形式語には単語であるか否かという根本的な問題があり、種々の学説があるが、連濁、促音、撥音便、ハ行転呼音、語頭のラ行音、音節数などから見て「形式語はどうしても単語以下のものであると考えざるをえない」。が、こうした「従属性を有する独立単位」を認めるとすれば、それは「発音的即ち形式的というよりも語法的」である。従って、形式語が単語の性質を持つのにも程度の差があり、動詞だけに付く助動詞は助詞よりも単語性が少ない。として品詞に「第一次、第二次、第三次」のランクを設けて次のように表示した。(表は略す。)安田は、従来の品詞分類は内容、外形、職分を適宜加味したもので「時間的な考え方」に言及しない点や「程度の差を無視し、品詞なら、どの品詞も一律に考え、品詞性の強さを別つ事などなかった」と批判した。これは注目してよい見解である。

研究資料日本文法①品詞論体言編より)

本書は国語史の展開より見て、国語法の大要を品詞論、文章論に亘って叙述したものである。文語、口語など云ふ規範文法にとらはれることなく、国語の諸現象を総合的に考究したものである。高等国語法は一層(中略)

近代国語学書目解題選五より)

感動詞は非常に主観的、原始的な語であって他とかかりうけの関係をもたないので、他の概念的な意味を有する語と対立的にとらえるべき語であるとし、安田は孤立語(⇔相関語・観念語)と考えた。感動詞の本質の一端をとらえた考え方として、無視しえないものである。

日本文法辞典より)

※8 初期近代語におけるコソの係結び

コソを文の途中に使用した場合、その勢力が文末に影響して已然形で之を結ぶことは、古くから認められているが、その成因について伊曽保物語の二九例と天草本平家物語の六七例で論じている。さらに、已然形で結んだ用例百六七を分析して、その起源を論じている。

※9 万葉集の研究(ひむろ所載)

万葉集の一特色をなしている長歌について、特に長歌に不随している短歌(即ち反歌)を観察の軸として、まず年代順に排列して反歌の有無を検し、その成立と消長を調べあげている。人麿を境にし、第一期(万葉前期)の作家の長歌には、反歌のつかない方が多い。反歌は舒明天皇の御代あたりから見えはじめたと言う。そして、平安朝以後の長歌の反歌の消長(末路)を述べている。以下、「反歌と短歌との関係」「その用法と考察」「それぞれの巻の性質」「長歌を賦と名づけ短歌を絶と名づけた家持時代のこと」「反歌は返歌の省劃なのか、長歌が衰へ短歌が全盛へ」「長歌の母体についての史的研究」「短歌の史的研究」「短歌の史的研究の続き」「萬葉集の編纂者は校異歌をどう数えたか」「萬葉集の歌の伝承の方法について」「伝誦(伝唱)と宴との関係について」「萬葉集のヲトメについて」等々。いずれも統計的方法を用いた研究で、大変価値ある論文類である。

※10 口訳対照古今和歌集(中興館)

年代別・作者別に組みかえて、関係書と対照し、歌を口訳し、難語の註釈を索引式にして施し、歌句の索引をはじめ原本順索引、地名索引、人名索引をつけ、更に地図、系図、年表をもつけ、出来るだけ便利にして新しい展望と鑑賞法をもってしている。後の※22(古今和歌集編纂)と共にこの編集方法は、今の時代にも引き継がれて、いくつかの類書が見られる。

※11 高等国語法(中興館)

高等学校、大学等で比較的僅少の時間で学ぶ国語法の大要を授ける場合の書物。国語法概説の体系により、史的現象を特に詳しく述べてある。

自序より)

品詞を感動詞とその他の品詞に分ける。

孤立詞───────────────感動詞
相関詞┬観念語┬主用語┬体言─名詞・代名詞
   │   │   └用言─動詞・形容詞
   │   └副用語────副詞・接続詞
   └形式語────────助詞・助動詞

凡例より)

単語の種類別の第一段として感動詞と感動詞以外のものとを分け、前者を孤立語、後者を相関語とよぶ。感動詞は分析以前の全意識を総括的に表わしたもので一語一文の文章語たる性質をもっており、感動詞を一文中で他の成分と組み合わすことは困難である。それほど独立性むしろ孤立性が強い。副用語のように他の品詞に先行して「あはれ美しき月かな」などともいうが、「あなあはれ」など孤立的に用いることが多い。

国語学新講より)

※12 語法学者としての本居宣長

※12 本居宣長の音韻学

生誕満二百年記念として特集された論文の一つで、前者は音韻学について、その代表作「漢字三音考」で漢字の字音を考え、「地名字音転用例」についても述べている。この論文は、筑紫国学会での講演原稿でもある。後者は国語学者としての宣長を描き出してから、語法学についてその書「紐鏡」と「詞の玉緒」で係結びの研究を、「御国詞活用抄」で用言の活用の研究を、その他「玉あられ」「後撰集詞のつかねを」についても論じている。

※13 上代歌謡の研究第一巻(中文館書店)

全編を一、萬葉人の自然禮讃、二、近代的な奈良、三、大和と地方、四、神の国、五、天皇、六、高天原、七、鳥、八、古代意識、九、言霊と伝誦、十、 声楽の歌、十一、上代歌謡の曲節、十二、短詩形の声楽的研究、十三、長詩形の声楽的研究、十四、萬葉集の声楽的方面に分つ。この目次によっても推察  できるように、著者はその前半に於て、歌謡を通じての上代人の精神生活を窺知する事につとめ、後半に於ては、声楽方面から歌謡の形態を検討する事に努力している。

万葉研究年報より)

記紀の歌謡及び萬葉集の定型長短歌をも上代歌謡の中に含ませ、特に萬葉集の長短歌も記紀と同様、伝承の上では口誦と筆録という二方法によって記定されたものであるから、「声楽的な性質」を多分に持っており、古歌集、類聚歌林、柿本朝臣人麿歌集、笠朝臣金村歌集、高橋連蟲麿歌集、田辺史福麿歌集などいずれもその名のようにまさに「歌われた」歌の集であると考え、十四章を設けて実証的に研究を展開している。「萬葉人の自然禮讃」「近代的な奈良」「大和と地方」「神の国」「天皇」「高天原」「鳥」「古代意識」「言霊と伝誦」「声楽の歌」「上代歌謡の曲節」「短詩形の声楽的研究」「長詩形の声楽的研究」「萬葉集の声楽的方面」の諸項に亙り、上代人の精神生活の主要なる部面と音声要素を主とした歌謡の形態とを検討している。なお同年末に出た続編ともいうべき第二巻には、同じ立場から各伝説歌の考察を進めている。

(至文堂・国文学研究書目解題より)

※13 上代歌謡の研究第二巻(中文館書店)

すべての歌謡を通じて、その中心的生命を構成するものは恋愛なりとし、著者はこれを上代歌謡の内容的研究の一部分として取り扱い、その第二巻に収めた。叙事詩的な求婚伝説を主とし、歌垣についての意見などが加へられている。尚、歌謡索引と件名索引とを載せた付録がある。

(万葉研究年報より)

※14 三矢博士著作年譜

この年譜は安田静雄との共編で、出生~逝去する迄の著書は勿論のこと、略伝・講演の内容迄苦心の上詳しく調査している。そしてこの後、※23の遺稿集の編纂がなされたのである。※33の遺著索引にはさらに調査し、より詳しい年譜が所載されている。

※15 九州方言からの一視点

NHKで放送した「福岡県の方言」につづいて、九州方言が、国語法の歴史の研究にとって重要であることをマラスからマスが出来たこと、その中間の形の語がマッスで今でも残っていることの例を述べている。

※16 鹿に反映した上代の恋愛感 万葉集に於ける

鹿に関する上代の歌は大部分恋に関するものである。妻恋になく鹿の声が如何に萬葉人の情緒をゆり動かしたかを沢山の引用例によって示し、次に集中に現われてくる鹿と萩との恋、或いは、妻問を以て上代人の恋愛観の反映と結論す。「上代人は鹿の異性を求める悩ましい声を醜い想像へ展開せず、美しい萩の花との恋に結びつけた」というのが論旨である。

万葉研究年報より)

※17 歌謡資料瞥見

福岡高等学校創立十周年記念に古書籍の展覧されたる、謡物の書写本数種の紹介及び解説を附加したものである。

※18 たまきはる考

たまきはるの文字遣をまず調査、それからこの語の意義についての先進の説を検討し、最後に自家の説として「切りキザム意」であるとなし、この語の中に「大和民族の上代人の霊魂観が含まれているのであり、人生観もまた含有せられているといい、例歌についての解説がある。

万葉研究年報より)

※19 古今集時代の研究(六文館)

著者の「古今集」に関する既発表の論文に、古今集の本質、左註論補遺、古今集の成長を加え一書を成したもの。十一章より成る。『古今集の本質、古今集の左註について、左註論補遺、萬葉集から見た古今集、古今集の成長、王朝の歌にあらわれた助詞コソの感情曲線、古今集の題と詩人との関係、古今集の格調一~四を収載。』古今集の注釈書類は、それまで多く世に出たが古今集を中心にしてその時代を総合的にとらえた、和歌史的に考察した書の先駆の位置を占める。著者の関心は、早く上代歌や萬葉集にあったが、それの延長として古今集の読人不知歌などの古歌や左註に見られる伝承歌の性格などに注目した。萬葉から古今への推移展開を文献資料にもとめつつ追求し、古歌の時代から六歌仙時代、歌合勃興時代をへて古今集の成立に至る過程の解明や萬葉時代の歌謡性の残存を取り上げて新見解を示した。「古今集」歌の格調も論じられている。

国文学研究書目解題より)

萬葉集より観たる古今集は、萬葉集と古今集の類似歌を列挙して比較研究をしている。そして二集の関係に触れている。

万葉研究年報より)

古今集の本質から、左註の成立、萬葉集の歌との関係、成立後の添削その他を論じ、最後に語法と格調について精細な論究を試みている。

和歌文学大辞典より)

先駆的な意義を持つ論著で、萬葉集との連続関係を重視し、各系統の本文に目を配り、よみ人知らず、六歌仙、撰者の各時期の史的展開に即して、古歌への意識、左註と伝承歌の関連、萬葉歌の摂取、異本の成長、助詞「こそ」による心情表現、題知らずの歌の性格、句切れの実態など克明に考察しており、現在でもなお評価できる豊富な内容を持っている。

(日本文学研究資料叢書・古今和歌集より)

「古今集の本質」以下十一章八編の論文を収める。『古今集』の種々の問題が取り扱われているが、ことに修辞論や、『古今集』を読人しらず・六歌仙・撰者という三つの時代に分けて考察する方法は、後代に与えた影響が大きく、また、本書以後『古今集』の文学的研究の進展が必ずしも思わしくない点、現在でも出発点となる書である。

鑑賞日本の古典三、古今和歌集より、)

※20 萬葉集の真義(佐々木博士還暦記念論文集所載)

萬葉は萬世の義である事明らかであるが、その語義が萬葉集の有する本質に徴し、その芸術的価値を評価する事に及んでいないのは遺憾であるとして、集中のヨロヅヨの用語例を検討し、巻々、作者、歌形にいかに現われているかを見、更に、一々の歌詞について考察し、萬世に語り継ぐ意識の発達と共に古伝説の伝誦が行なわれ、萬葉集が結集されるに至った事等を論じている。

万葉研究年報より)

※21 平安朝文法概説(短歌講座第九巻所載)

修辞文法編に収められたこの論文は、『形容詞のシク活の終止形の語尾がシシとなっているのは院政時代から見られる。』と言う時代区劃から、この院政時代を語法史からは鎌倉時代へ譲り各章を論じる。『時代区劃、資料のかたより、韻文と散文、歌謡、都の言葉と地方の言葉、感動詞と代名詞、体言の格、用言の活用、用言の種類、用言の法、助動詞、副用語、助詞、構文法の十四章を収載。』国語の文法の史的研究の書物として、山田博士の「奈良朝文法史」と共によく研究された書物。用例が多く取り入れられている。「かしこ」「かなた」「あそこ」「あなた」などが、平安朝以後のものであること、用言の活用で平安朝に下一段となったのは「クエ」の系統で、これが「ケ」になった。また「クエル」が「ケル」となった、という説が出ている。のちの中古の国語(明治書院・国語科学講座)※26を参照のこと。

※22 年代別、作者別古今和歌集(春陽堂)

高等学校で古今和歌集を学ぶ時のテキストで、各作家の歌風を認識し、更に、各時代の特質を識別して、和歌史的立脚地に立って鑑賞することができる書物である。

※23 三矢博士遺稿集編纂(中文館書店)

①「文法論と国語学」②「国語の新研究」③「国文学の新研究」の三冊があり、※33の付録索引と併せて研究者の便益をはかってある。原稿三千五百枚、整理に一万時間を要したもの。国文法のあらゆる疑問にふれ、親切に説いてあり文法辞典の役目を果たす書物である。

①は国語の研究、日本文典、文法、文法論一~四、国語学、応問集などの論文を収める。

②は作家と助辞、和歌と文法、和歌と語法、助辞、荘内語、文法論短編集、音韻文字論集、語彙論集などの論文を収める。

③は古典研究集(古事記に於ける特殊なる訓法の研究、源氏物語の価値)、註釈集、神道論集、人物論集、史論集、時務論集、随筆集、美文集、和歌集などの論文を収める。

※24 和歌史概観

千数百年の和歌の歴史の現象は、複雑であるが、底に流れる原理は明瞭である。萬葉集主義と古今集主義の二つの指導原理である。この消長が、和歌史の中心をなしているのである。この二典成立以後の問題を取扱った論考。『明治三一年以前は、古今集が歌壇を支配しており、以前で萬葉を採る人は、源実朝、幕末では、平賀元義、井手曙覧、良寛、香川景樹の流派であり、これが明治に引継がれた。明治三一年以後では、正岡子規で、この系統が現代のアララギ派である。』以下、古今集が歌壇を支配していた時代のこと、萬葉と古今との比較論(古今集の評価)を論考している。

※25 九州方言及び琉球方言における代名詞の研究(金澤博士還暦記念論文集所載)

琉球方言では代名詞としての此(コ)が、古くクと発音せられていた。此ハの代りにクハと言ふのもある。コレに相当するものを、クリと言っている。概して九州方面さらに琉球方面にコ(此)をクといふことが多く、この方言の残存の推移は、大和民族の東漸の跡を印しているものである。

コソとクソとクサより)

※26 中古の国語(国語科学講座第五巻所載)

仮名遣に関する研究でシノブという語は萬葉集を読むとたいていシノフである。これを最初に取り上げた論文。尊カリ(多布止可理)のヨの二種類のうち用の類は、早く滅び、余の類に転じてしまった。

国語の本質より)

奈良朝時代の宣命にヨとヘとの仮名の誤の出ていることを説いている。第六章~第九章に亙る「文字と音韻」の項に石塚龍麿の特殊仮名遣が屡々引用されている。祝詞、宣命、仏足石歌などに於ける仮名遣が、上代の特殊仮名遣と照合し合ってるとか合っていないとか云ふ調査報告書である。やや冗漫であり、如何と思われる節々もある。

万葉研究年報より)

(補註この批評の誤りは※35の上代特殊仮名遣崩壊の過程に説明がある。また、単行本「語法訓詁」に紹介がでている。そしてまた、往々よく引用される論文である。)

※27 万葉集と九州(ひむろ所載)

万葉の歌枕の多いのは、北九州(大伴旅人、山上憶良)と越中国(大伴家持)であること、「大野なる三笠」「水城の上に」「大野山(大城の山に)」「城の山(基山)」等の歌枕のこと、その他十四首の歌についても述べてある。※9の萬葉集の研究の続稿である。

※28 歌舞伎芝居と人形芝居との交渉

「日本演劇史の方法論」「近松の再認識」「歌舞伎から人形芝居への影響」「人形芝居から歌舞伎への影響」の四章より成る。

標題より)

「浄瑠璃史は既に書かれているがまだ人形芝居の歴史は書かれていない。近松の浄瑠璃についても文学作品として他作家の浄瑠璃より遥かにすぐれていると認められている。ところが人形芝居の実際について言うと近松の作品はほとんど実演せられているものがなく、彼より後の作品が現に繰返し演ぜられている。これは一体どうしたことであろうか」この疑問についても述べている。

日本文学雑誌より)

※29 平家物語について

一通りの解釈について平易に、誰しも理解される程度のことを述べている。内海氏の評釈に松尾氏の指摘した解釈の箇所(誤謬指摘)をあげて、改まった事を説明している。

※30 上代における仮名遣(上代日本文学講座第三巻)

シノブと言う語は、シヌフからシノフとなりシノブとなった。昔ヌはノに近い発音であった。

国語の本質より)

いはゆる上代特殊仮名について再検討を試みたもの。その本質たる音韻方面を説いて、龍麿或いは橋本博士の誤謬を指摘しているが、その論の根本態度には、なほ疑問なきを保しがたい。(因みに氏に依れば、上代特殊仮名遣が用言の活用にいかにあらはれるかを説いたのは「国語法概説」中にある、氏の公表を以て、最初とするものだそうである。)

万葉研究年報より)

※66の国語の本質I、IIでより詳しく論じている。)

※31 人形芝居の話

淡路の人形座の現状と、盛んであった時代のことを調査し、日本の人形芝居が衰えた原因と、保存するにはどうしたらよいかという私見を述べている。「大日本浄瑠璃界」の原稿の再掲載である。

※32 筑紫歌の研究

萬葉集中、筑紫に関する歌二二首をあげている。

万葉研究年報より)

※33 三矢博士伝記資料

国学院同窓会雑誌の初号~二三号迄の資料を示し、先生の偉大なことを明らかにしている。

※33 三矢博士遺著索引

遺著①文法論と国語学、②国語の新研究、③国文学の新研究、の索引で、出版される予定であったが、出来なかったので雑誌での発表となった。これらの付録索引として、『一、①の件名索引』『二、②及び③の件名索引』『三、文法論索引』『四、源氏物語講義の語訳索引』よりなる。付録として著作年譜、関係雑誌一覧、遺著補遺がある。

※34 上代特殊仮名遣の音韻的基礎

上代に於ける仮名遣(春陽堂発行、上代日本文学講座第三巻)の論文の結論に修正を加えたもので、その要点は開合から見たものを母音の差と見直すのにある。

万葉研究年報より)

前論文でuoとしたものをüとし.uiとしたものをïとしueをεとして認めることができる。

(前後文より)

韻鏡を利用して上代特殊仮名遣を全部取り扱った最初の論文である。

国語の本質より)

※35 上代特殊仮名遣崩壊の過程

仏足石歌が天平勝宝四年とするとそれより三年前、天平勝宝元年皇紀千四百九年の宣命にへの誤があるとした。昭和八年七月発行の「中古の国語」の六十頁ほかを参照のこと。

明治書院出版の中古の国語(国語科学講座)の続稿で、石塚龍麿の発見した上代特殊仮名遣の崩壊の過程を綿密に調査する必要性と、『仏足石歌では、メは正しく、トにおいて混乱している。」と述べている。

※36 助詞「ト」の用法上の一疑問

萬葉集巻一の『霰うつ安良禮松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかも』の解釈上の二説を述べ、それはなぜ生じたかという説明と、ヲ格ト格と見てよいことを述べている。

※37 はしきやし考

ハシケヤシ、ハシキヨシ、ハシキヤシという語の類は萬葉に多く記紀に少ないので、それらの語の用例を萬葉集について、詳しく研究した論文である。

※38 古事記全歌謡の評釈と鑑賞の一部

『いざ吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の海に 潜きせなわ。』この歌は日本紀に見える類歌と対照して理解し鑑賞すべきである。忍熊王が建振熊命に追撃せられて船に乗り、湖に入る時の歌である。

※39 「天の原ふりさけ見れば」考

萬葉の一四七番『天の原ふりさけ見れば大王の御命は長く天足らしたり』の歌は、夜である理由を萬葉集中のほかの歌から説明している。

※40 人形村の戸口調査

鮎原村の人形座を文化五年にしらべた七冊七種の書類で、精細を極めた戸口調査である。人形村としての、おもかげを偲んだものである。

※41 荷田春満の学問

荷田春満の二百年祭記念として特集された論文の一つ。

万葉研究年報より)

《萬葉集の研究は、春満→契沖→真淵→宣長の系統がある。そしてさらに、宣長の古事記の研究へと続くのである。》中略。《春満は、萬葉の解釈について多くの創見を出している。》と結んでいる。

※42 淡路の人形芝居(ひむろ誌所載)

昭和十一年十月六日、NHKで放送された原稿で、浄瑠璃という節(義太夫節)のむつかしいこと、その他、淡路の人形座の状態、興行の状態などを紹介している。

※43 (誰にも分かる初歩の国文法)大修館書店

※43 (よくわかる一年生の国文法)健文社

※43 (初歩の国文法)大修館書店

これらの三冊は、安田文法に基づく入門の参考書で、感動詞と感動詞でない他のすべての品詞に分けて解いている。

※43 (答案本位受験の国文法)大修館書店

※43 (よくわかる三年生の国文法)健文社

※43 (受験の国文法)大修館書店

これらの三冊は、自説を控えた受験のための参考書である。

※44 コソとクソとクサ

助詞コソと、呼格に用いられるクソとクサの相互関係について多くの示唆を与えた論考である。コソは、文献の上では平安朝以後のことである。またクサは、クソハのちじまったものである。

※45 五言詩の研究

春秋左伝の中から逸詩や韻文風の断片を拾い、その形態上の特徴を調べて、短句が先に立ち長句が後にくるのは支那の古代の歌謡の一つの特色であるとして、記紀歌謡と比較し、結局こういう傾向は日支の上代歌謡に共通したものであろうとする。

万葉研究年報より)

鈴木虎雄博士の説の紹介と、五言詩の発達の経路について明らかにしょうとしている。

※46 萬葉集の研究法

上代人の大衆生活を伝へる作者不明の巻を主材料として「さよばひ」を論じ、其の論述中に研究方法を示唆する。

万葉研究年報より)

※47 萬葉集の旋頭歌の研究

萬葉集中の旋頭歌は短歌に類した短詩形で、歌詞の内容から民謡たる性質を持っていることを述べ、次に、問答(贈答)にも用いられていたことなどを、四十首について調べ上げている。

※48 上代人の生活と歌(湯川弘文社)

「求婚伝説から求婚へ」「ヲトメ」「ヲトメとテコ」「妹と君から長歌へ」「長歌における求婚」「民謡集」「問答」「妹、我妹、我妹子」「君、我背、我背子」「東国の呼び方」「旋頭歌」「ヲトメの国の求婚」「手兒の国の求婚」の各章からなる。戦中の昭和十八年に発行された書物で、※13の上代歌謡の研究一、二巻の姉妹編である。この二巻の書物と同じく著者の豊富な知識と、独特の情(議論)で論述されている。また、上代のさよばひについての正確な理解を得る上で、良い書物である。

※49 助詞ナムの研究

ナムの係結を“歴史的に”解説して見ようと試みたもの。「ナモからナムヘ」「ナムの本質」「ナムの実体」「ナムの係結」「ナムの一族」「結語と余論」の六章より成る。

※50 助詞「が」の研究・勅撰集の詞書の中から

平安朝の勅撰和歌集(ことにその詞書や左註を材料として)のうちから調査した、三七例の報告書。連体格の助詞ノ・ガの用法については、ノが多く使用せられガは少なく、範囲も狭いこと。そして助詞ガの特異性を述べている。

※51 浄瑠璃から見る国語

浄瑠璃の研究が、国語の研究に重要であることを述べ、品詞の発生・成長から考えて分類は、感動詞と感動詞以外とに二大別することで、孤立語と関係語と名づけた。その理由の第一は、助詞(テニヲハ)の研究である。感動詞はその本質から助詞が付かない品詞で、世界各国同じである。第二の理由は、仮名の遣い方(平仮名と片仮名)によって知られる書物群(浄瑠璃=義太夫節の丸本及び稽古本)があることである。感動詞は、片仮名で書き、他の品詞に属する語は、平仮名で書いている。それを具体的に述べた論考である。

※52 助動詞マスの源流

この語はもとマラスであり、更に遡れば、マヰラスであることは、国語法概説、高等国語法で説明しておいたが、江戸時代の文献にマラスとマスとの混用が見当る。その前の時代では、マヰラスとマラスの混用があり、天草本平家物語の用例で証明している。マラスの用例三百の九割以上が、動詞の連用形に、一割近くが相の助動詞の連用形につく。マヰラスの用例の約二十は、動詞の連用形と相の助動詞の連用形につく。

※53 マラスの源流

助動詞マスの源流の論文と同じく、マヰラスがマラスに置き換えられ、親子関係になったことを説明している。

※54 古事記の語法

古事記研究の特集号に寄せた論考の一つで、次の語法体系についてまとめている。「形容詞の語法」「動詞の語法、その他」の二項である。

※55 西鶴の浮世草子

西鶴の浮世草子は西鶴の作であるかどうか疑わしいのが多く、それが気になる。藤村作先生の説、鈴木敏也氏の説、森銑三氏の説を比較研究したもの。『森氏の説に賛同し、いはゆる西鶴本は、大部分か、ほとんど全部が、何割りか手を入れたものであり、単に名前を貸したものもあり、個人井原西鶴の純粋の著作ではないのである。』と結んでいる。

※56 近松の浄瑠璃

近松については、いろいろの研究がなされているが、肝腎の浄瑠璃という音曲の方面や人形芝居の方面からの研究はなされていない。音曲の一部分として片仮名について、その作品を年代順に並べて通覧して、そのうつりかわりを観察したもの。

※57 感動詞の認識(近代語研究第一集)

ことばの本来の在り方はおしゃべりにある。一人一人の子供のことばのはじまりを考えなさい、泣き声、笑い声、いぬ、ねこ、すべて生理的心理的の躍動であり、驚きである。その本来の在り方に即して、文法は始まらねばならない。そして浄瑠璃ことに義太夫の丸本や稽古本を材料にして、《感動詞は片仮名で書かれている》の具体例をあげて論じている。

(文中より)

※58 浄瑠璃と教育法

淡路の人形芝居が上京したときの思い出、植村文楽軒のこと、郷土での祖母のこと、語学教育への提言などを述べている。

※59 勅撰和歌集の生まれ方(特に古今集を中心に)

古今集はいつ出来たかの説の紹介から、『古今集時代の研究』六文館発行を再度論考したもの。古今集は、延喜の終りまで、延長まで、承平まで、成長したものである。《勅撰和歌集は、天皇の御在位中、または御在世中、または院の御在世中は成長する法則がある。》と二二種について論考した、貴重な結果がでている。《後撰集は康保四年まで、拾遺集は寛弘五年まで成長した。》その他である。

※60 「まらす」と「ます」について(近代語研究二集)

近代語の「ます」は「まらす」「マヰラス」が転じたという説を証明した論文であり、さらにマヰルとマヰラスとの頻度の比の歴史を研究することによってマヰラスの方がだんだん助動詞化してゆく経過をたどっている。

※61 主格助詞イについて

助詞イの性質について、岡倉由三郎氏は、「主格を示す本来の辞」と題して其の職能を論じ、山田孝雄博士は、体言を主格としたものに付属すると言い、準体言を主格としたものに付属すると言う。この相違についてと、格助詞の本質を述べている。

※62 なりについて(短歌誌、地中海所載)

連体形なりと終止形なりの時代性を手がかりとして、緻密に実証的に論じている。

※63 国語講座の論文「語法学説史品詞論中心I」

※63 国語講座の論文「語法研究史品詞論中心II」

※63 国語講座の論文「語法学説史III」(白帝社)

近代を扱った文法学史の文献の一つ、著者は明治・大正・昭和の三代を生きた同時代史として語る演述に特色がある。一家言的な趣も見られるが「国語法概説」の著者として学説制作者の観点からする解説と批評は有意義である。

近代文法図説より)

明治元年~百年間の国語についての学説を公平に認識し評価したもので、解説と前後の連絡をつけ体系化してある著書である。

※64 萬葉集の正しい姿(自家出版)

萬葉集の撰者は一家二代説と、原撰は十四巻説を正倉院文書と六国史の裏付けで論じた核心にせまる論文書。また撰定は平城天皇の勅撰で、十代百年経っていると言う。「萬葉集の雲隠れが久しい」「萬葉集は上代日本文学全集である」「萬葉集の構造と成立とを考える」「諸学説の欠陥を眺める」「最近の学説の欠陥を突く」「萬葉集の原撰は見つかった」「萬葉集の撰者のまわりを探る」「萬葉集の撰者は分かった」「撰者は活躍した」「萬葉はどんな意味か一~四」の章から成る、成因について論じた必読の書物である。

(頒布資料より)

本書は萬葉集の成立および名義について論じたものであり、独自の見解が随所に見られる。「萬葉集の雲隠れが久しい」以下十四章の章より成り付録として「日本文学論纂」所収の「萬葉集の真義」を併せる。

国語国文学研究文献目録より)

※65 国語講座についての正誤表と「うめくさ」

国語講座I、II、IIIの正誤表と語法学と音韻学の研究のことの随筆。

※66 国語の本質I、II(自家出版)

昭和九年六月の上代日本文学講座(春陽堂発行)に所載された論文「上代に於ける仮名遣」を、より詳しく分かり易く証明して見たもの。古事記の上代の仮名を音韻的な相違から前母音と奥母音とで論じ、韻鏡と言う本を利用して説明している。

Iには、『国語の発音、龍麿の研究が紹介された、龍麿の研究は誤解された、安田喜代門の立場、橋本進吉の再登場、安田喜代門の再登場、韻鏡はなぜこわいか、韻鏡が分ってきた、韻鏡は利用されかけた、韻鏡を利用する順序、音価決定まで、濁音の音価、母音統制について、甲類乙類の解剖、前型と後型と、オ列の奥型とウ列、オ列とイ列エ列ア列、イ列中心の母音交替、ハ行子音とサ行子音、仏足石歌について、無名の民の仮名遣、歌経標式の仮名遣』等の各章よりなる。

IIには、『宣長は誤解せられた、宣長と喜代門、フロントとバック、龍麿の業績追跡、龍麿追跡のさまざま、最近の学説追跡、子供は言語学者、不正呼ばわりから流動へ、不正組からよろめき組へ、奥母音から前母音への終点、東国方言へ、古事記萬葉の毛と母、毛と母とを日本書記で追う、モの没落とホオの初影、シの二類について』等の各章よりなる。

※67 新解古典文法(自家出版)

高校や大学で学ぶ為のテキスト及び一般の教養書である。古典にぶつかって味読する立場で文法を生かして使って欲しい。

(序文より)

※68 「ます」と「です」(近代語研究第五集)

※68 「ます」と「です」の続論(近代語研究第六集)

ますのまらすの語源説の関係の昔話にふれ、それを説明し、また、湯沢説の誤謬について触れている。「です」について、「デオワス」を起源とし、デオワス→デワス→デスと変化したものであることを、「大蔵虎明本狂言記」「閑吟集」「のろまそろま狂言集成」から説いている。

※69 文の本質(大修館書店)

※69 品詞論と代名詞論(大修館書店)

単行本「日本の言語学三、四」に納められた、この論説は文法書「国語法概説」の再掲載である。国語法概説四三~五六頁、六六~七一頁、三〇〇~三〇六頁掲載のものである。

※70 上代日本語音韻論の始発と結末

この調査では、最後の論考となった。そのほか武蔵野女子大学研究紀要には、『碁太平記白石噺の研究(演劇の基盤の実話)、看聞御記に見える平曲、上代の音韻と萬葉集、上代音韻研究史上の乱戦、上代日本語音韻研究史上の重大な錯誤、上代日本語の音韻や語法の研究から』等の論文がある。

(ここ迄平成七年十一月末日整理する。安田武雄)

補1 こけ猿

近松の浄瑠璃「丹波与作」の中に出てくるこけ猿という語の意は、醜い、汚い事の形容として用いたことを述べ、さらに、コケという語は九州ではコッケとも言い、今でも使われており「垢」とか「きたない」から、「古い年寄って」という意味であることの報告をしている。

補2 新たに発見された萬葉語

大和時代の仮名のつかい分けの研究で記紀の用例、萬葉集の用例を示して、キの方は紀の系統を用いず伎の系統を、ケの方は気の系統を用いず祁の系統ばかりを用いていることを論じている。さらに、タシケク(多之気久)と言う語の発掘作業を行っている。

補3 歴史的国語法の立場

国語法に関する最初の歴史文法書である「国語法概説」と「高等国語法」以後の書物として、吉沢義則氏の国語史概説、小林好日氏の日本文法史について、論考している。また、日本語を研究する場合、歴史的に研究することの大切なことを説いている。

補4 古今集の研究(日本文学講座第六巻所載)

年代順・作家別に鑑賞する必要性を述べて、最初の口訳対照古今和歌集を紹介し、その創案の方法論を詳しく、次に注意しなければならない点を列挙し、詳細に研究している。

補5 啄木のふるさとの歌

八つの項に亙って追懐し、最後に啄木を偲んだ詠歌でしめくくっている。

補6 記紀歌謡の本質

記紀の文学の特質として「ウタフ」のと「カタル」のとがあり、その両者の要素の混在を上げ、そしてこの歌謡の本質は、カタリモノの中に含まれたウタヒモノであることを述べている。

補7 上代の方言区画(金田一博士古稀記念論文集所載)

上代(大和時代)の方言を研究した論文で、『古風土記逸文』を材料として、区劃の問題を取り扱っている。東国方言、九州方言、越(こし)の方言、出雲の方言、結語の各論よりなる。

補8 浄瑠璃の段

浄瑠璃の段の数は古浄瑠璃では普通六段であったが近松では五段、従って義太夫ものは五段組織である。もっとも世話物は三段を普通とする。六段から五段にうつった原因については能の番組に倣つたという説があるが、今これにふれないで、五段ものよりも段の数が多くなっていく場合、その経過について調べてみたい。

(文中より)

※この書について(拝受の葉書から)

安田兄弟の業績集として、感慨深い。新たな知的感動を覚える。特に第三部の論文集は学術的にも有意義である。雑誌発表の論文をもう少し含めるべき、古今集概説の論文(口訳対照古今和歌集所載)他。


参考図書と歌碑建設の経過他

著作年譜の作成については、ほとんど《静雄》の残した蔵書を元にしましたが、次の図書をも参考にしました。

以上は主なものだけです。

○印の単行本は四七冊、□印の国学院雑誌は三一種、△印の日本文学雑誌は二二種、その他七五種であります。戦後の混乱期を除いて、毎年論文を発表しつづけていた様で、ここに挙げたほかにもたくさんあると思います。しかし、手元の資料を中心に調査しましたので、この範囲となりました。喜代門の業績の調査は、所属の学会も多く内容も多岐であるため大変でありましたが、今後ともつづけて行き、もっと充実した年譜となる様に努めたいと思いますが、今のところは、このまとめでご容赦をお願い致します。論文等手元にあるのは、o印の十六と、@印の十五と、・印の七一であります。

(平成八年五月末現在)

それはさておき、喜代門は、昭和五五年四月七日、心臓発作で就寝中に没しました。前日は、研究会の仲間と会談していたと聞いています。そして静雄の方は、喜代門の勤めている学校に入学する等をして勉学に励み、また卒業後も行動を共にし、よく行き来もしていました。中でも、恩師三矢重松博士の遺稿集編纂と、著作年譜の作成には、随分労力を費やしなんでも延べ一万時間を要したとか伝え聞いています。また淡路のだんじり、人形芝居に関しては、共に執筆が見られ、そんな事もあって、丁度、静雄の歌碑の再建を考えていた折、喜代門と共に兄弟歌碑として建立することになりました。元の歌碑は、残念ながら十五年前の台風十六号(昭和五四年十月一日)で流失してしまいました。

この度の再建歌碑の除幕式は、平成六年四月十日で、(出生の地、兵庫県津名郡五色町鮎原西、現、洲本市五色町)そして、刻まれた歌は次の通りであります。

志きし満のやまとことはをきわめてそ
  わか日の本のみちは知らるゝ   喜代門
ほのぼのとい寝る夜ごとに父母の
  夢を見てゐるわれはうつそみ   静 雄

喜代門の歌は、昭和四五年頃淡路へ行く途中、我が家に立ち寄って記したもの(短冊)。そして、静雄の歌は、遺歌集「淡路残照」及び、五色町史、昭和万葉集、地中会誌の三十年記念号等に出ているもの(掛軸)。書は地中海社代表香川進氏。静雄は、体力ことに視力が弱かったため中学校の教員で終りましたが、論文の執筆も多く見られます。そして、同じく心臓発作で昭和四七年四月四日に没しました。前日の勤め(新学期の準備)の会議を終えての事でありました。

次は、除幕を祝した拙詠です。

わか父の常に恋ひにしふるさとの
  鮎原の丘に兄弟歌碑たつ
鮎原の歌碑を夢見きわか伯父と
  わか父ともにかたらふ姿
ことば解く伯父の書まことおびただし
  かかる間に歌よみましき
台風にて流されし歌碑あらためて
  鮎原にたつ従兄とともに

なお余白を利用して、この記念集(伯父の生誕百年記念集でもあります)作成の感想を述べますと、当初の気楽な気持は消え、調査の過程で次第に重要さを感じてきました。それは何故なのだろうか、その一つは、兄弟の生きた姿(=自分史)の調査ともいえるからでしょう。二つには、それぞれの業績の評価(功績)だと思います。三つには、郷土の文化である人形浄瑠璃芝居の研究文献そのものが多数あるからでしょう。特に、喜代門の業積は、この人形浄瑠璃芝居の研究をとおして、感動詞中心の語法の学説を主張したこと、さらに上代歌謡をも研究したことであり、静雄は、元神官で郷土芸能を心から愛した人だったからであります。(年譜と付の文楽と淡路人形芝居を参照して下さい。)

そのような意味で、ここに喜代門の人形芝居と浄瑠璃研究の業績について項目を再度掲げ、郷土の皆様にご紹介申し上げたいと思います。

資料集作成に当り、一書をつくる事の難しさを感じつつ、なるべく客観的な文になる様に努めましたが、行き届かない点はご容赦下さい。

(平成八年五月、安田武雄)